はじめに

こころと脳の関係について研究します。

「こころ」と「脳」の関係は、古代人においても認識されていたことが証明されています。約7000年前の古い地層から発掘された頭蓋骨には、明らかに複数回の開頭術を受けた痕跡がありました。何らかの医学的または宗教的な理由から、このような「治療的処置」が施されていたようです。しかしエジプト時代になると、こころの働きは心臓の働きと関係するとされるようになります。脳は心臓で沸騰した血液の冷却機関であると解釈され、その重要性を失います。脳が再びこころの働きの主役として登場するのは、ギリシャ時代のことです。

引き続きローマ時代にかけて脳の解剖学的研究が進められましたが、中世には学術的な進歩は少なかったようです。しかし15世紀頃の絵画には、頭痛などを含めて脳疾患に対する開頭術が施行されているところが描かれています。17世紀のデカルトの教科書には、眼から入った視覚情報が視神経を経て脳内のある場所で処理され運動系に出力される経路が示されています。デカルトは松果体こそが、こころの働きを司る領域であると考えていました。すでに脳はヒトの高度な知覚・認知機能の中枢であり、その機能が失われた場合はヒトは死に至るであろうということは理解されていました。

動物による脳の破壊実験などから、脳局所の機能が解明されるようになりました。最も初期のヒトにおける重要な研究結果は、Broca野の発見でしょう。これは脳卒中後の失語症患者の脳を解剖した結果明らかになった事です。次いで前頭葉に事故で障害を受けたGageの症例と、人格・感情などの研究もあげられます。また後頭葉における視野の空間配置に関する研究には、日本人医師の臨床研究が大きく貢献していることも知られています。最近では、症例H.M.における海馬と記憶の研究が有名です。これらの貴重な損傷脳研究から、われわれは多くのことを学んできました。

知覚・認知機能と脳局所の活動とを対応させるこのような研究は、最近では主に神経科学の枠組みの中で行われています。対象とされるのはサル・ヒト・その他の実験動物ですが、中でも健常なヒトを被験者として用いる研究が行われるようになったのは1990年代以降のことです。ここでは脳に侵襲を与えずに神経活動や脳血流の変化を測定する技術が重要になってきます。このための手法として、ポジトロンCT(Positron Emission Tomography: PET)、磁気共鳴画像(Magnetic Resonance Imaging: MRI)、事象関連電位(Event-Realted Potential: ERP)、脳磁図(Magnetoencephalography: MEG)、近赤外線分光法(Near-infrared Spectroscopy: NIRS)などがあります。

非侵襲的に脳の機能や形態を測定します。

「こころ」の働きを知ることは、われわれにとって大きな関心事です。それは例えば、われわれが住んでいる地球や宇宙・太陽系について知ろうとすることと同じくらい大切なことだと思います。しかしそれを知るためには、対象をそのままの形で決して壊さずに研究する必要があります。それはヒトを対象とした研究の場合特に重要な点です。私が医師になった頃は、そのような方法は脳波(Electroencephalography: EEG)以外にはほとんどありませんでした。しかし21世紀に入った現在、われわれは上に述べたようなさまざまな手法を利用できる状況にあります。これらの非侵襲的脳機能測定法を用いて、健常者または患者さんの認知機能と脳の働きについて研究することが精神生物学の主な目的です。

ここでは幾つかの手法について簡単に説明します。現在私が主に用いているのはMRIです。MRIの原理的な解説は他に譲りますが、大きな利点は脳の解剖学的情報と機能的情報を同じ装置を用いて得られることにあります。fMRI(機能的MRI)を用いると、ヒトがある認知課題を遂行中の脳活動を計測することができます。数ミリの空間的解像度でどの領域が何の課題に関与しているかを、統計的な確率性を持って推測することが可能です。

MRIでは当然のこと1ミリ以下の解像度で解剖学的な形態情報を得ることができます。この画像から灰白質、白質、脳脊髄液を分離し、灰白質の密度・体積の差を統計処理する手法が発展しました。これをVoxel-Based-Morphometry(VBM)と呼んでいます。DTI(拡散テンソル画像)では、白質の神経線維連絡を画像化することができます。これにより、fMRIで見られる脳賦活領域間を結ぶ線維を描出し、その特徴と行動指標の関連を探る研究を行っています。

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